■ Marchan's Factory






HOBBY

フィッシング(ルアー、フライ、海釣り、船釣り、渓流釣りなど) /  アクアリウム全般(熱帯魚・水草・海水魚・珊瑚など) /  山菜・きのこ採取

自然石・貴石・天然石・宝石採集 /  料理研究、燻製作り、ソーセージ作り /  ホームページ作成、FLASH、ウェブデザイン /  楽器演奏、作詞、作曲、編曲

油絵、木工・金工アート /  小説・エッセイなどの執筆 /  CLUB DJ、DJ MIX CD製作 /  写真、ビデオ撮影、加工 /  店舗設計、施工、DIY

ガーデニング、苔育成、家庭菜園 /  バードウォッチング /  コーヒー自家焙煎 /  蕎麦、パスタ手打ち /  スーパー、デパート・ウォッチング /  人間観察






撮影機材など







■使用カメラ

Minolta α7700i / Nikon F10 / FinePix 50i / FinePix Z5 / FinePix S5200 / Nikon D40

Nikon D5000 / Nikon D90 / Nikon D300 / Nikon D3S

■使用レンズ

Nikon

AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-200mm F2.8G(IF) / AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G (IF) / AF-S DX Zoom-Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G II

AF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 55-200mm F4-5.6G(IF) / AF DX Fisheye-Nikkor ED 10.5mm F2.8G

AF-S DX NIKKOR 35mm F1.8G / AF-S Micro-NIKKOR 60mm F2.8G ED

AF-S DX NIKKOR 10-24mm F3.5-4.5G ED / AF-S NIKKOR 50mm F1.4G

AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED / AF-S Teleconverter TC-20E III

Kenko 800mm F8 DX / Kenko ED500mm F8 DX / SIGMA APO 50-500mm F4.5-6.3 DG OS HSM / Nikon EDGフィールドスコープ 85

■スピードライト

Nikon SB-600 /  Nikon SB-900

■三脚

Slik プロ 700 DX-III / Nikon FT-5000

■赤道儀

Vixen GP2



















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































BIOGRAPHY

1961年9月21日 北海道川上郡標茶町に生まれる

愛光幼稚園1年入園
小学校1年 父親のDVにより母親が家出する
近所に住む中学生のいとこから性的虐待を受ける
小学校5年 父親が覚醒剤の使用及び所持で逮捕される
父親が連れてきた当時24歳の金髪女に暴力的虐待を受ける
小学校6年 父親が同容疑で再逮捕され網走刑務所に入所する
祖母と二人暮しを強いられる
同級生からのイジメが始まる
中学校2年 ブラスバンド部部長、文化部部長を兼任する
中学校3年 父親に面会するため網走刑務所を訪れる
高校を受験 合格するも登校せず入学一ヶ月で除籍となる

15歳 夢を抱いてギターだけを持って札幌へ(家出同然)
この年の7月、19歳の女性エレクトーン講師と出逢い、童貞を失い、一ヶ月ほど同棲する
以降、女性遍歴を積み重ねることになる

年齢21歳 名前 河城幸雄と偽り"すすきの"でバーテンをしながら音楽活動

主に出演したライブハウスなど
「アイドル」「ライトゲージ」「うたごえ」「アップルツリー」「神経質な鶏」
「ミルク」「海賊館」「ニュードタバタ」「パンジー」「サウンドハウス」 「人畜無害」「BOOGIE-WOOGIE」

17歳 

金太郎&スーザレイン結成
デビュー直前の「五十嵐浩晃」らとジョイント・ライブをYAMAHAホールで行う
YAMAHAポピュラーソングコンテストに参加
MUSIC ROW代表「丸岡氏」と出会う
楽曲「もう戻れない」を丸岡氏の編曲の下レコーディング

堀江淳、ふきのとう、工藤忠、ブラインド・ホース、フェアリーなどと出合う

19歳

音楽活動を続けるも生活の不安と孤独に耐えられず釧路に戻りライブハウス「MIC MAC」に勤務する

中学から遠距離恋愛だった相手と同棲

高野氏率いる「LITTLE WING」に堤祐一氏などと共に参加
NHKローカルに出演すると共に道内コンサートツアー始めるが1年で解散

20歳

柿崎明彦氏とデュオ結成
NHKローカルに出演
「ミルキーウェイ」にて連日出演

柿崎明彦氏のボーカルバンド「リヴァージュ」8人編成にて結成
YAMAHAポピュラーソングコンテストに参加
標茶町開発センターにて凱旋ライブ

勝山氏のオリジナルレコーディングに親友「甲谷氏」「ブラックジャック」などと共に参加

20歳 

札幌市白石区にてライブハウス「STEELY DAN」を開店させるが僅か半年で閉店(苦笑

父親との訣別

坂内憲司氏とデュオ結成
白石区「バンデリラス」にてのライブ活動を拠点に
「楽天舎」「フォーク村」「サンロード」などでもライブ出演する

22歳 できちゃった結婚(爆)妻18歳(更爆

23歳 すすきのにて改めて独立
「bar SeiSe」出店

24歳 2号店「bar SeiSe」出店
「Save Our Souls 1991」出店

25歳~

「cafeエーダ」出店
「グラスホッパー」出店
 定山渓にて「渓々」出店
「C-RISE」出店
カラオケ・ボックス2店出店
ラーメン店2店出店

飲食店数店をプロデュース

ブラジルへの渡航
熱帯魚輸入業始める

30歳 妻の母親との確執から離婚
それを機に全ての事業からの撤退

約5年間、彷徨

ブラジルへの渡航を繰り返す

人材派遣、自動車組立工、ペンキ屋、型枠大工、鳶、ボーリング工、電気工、土木工
道路ライン工、トラック運転手などを経験する

97年 「bar30-30」を出店

02年 「魔法のランプ」「bar SABO.ε」2店舗同時出店

03年 8月 「Twenty four - Seven」出店

04年 5月 「Hollywood Cafe」をプロデュース

05年 2月 インターネットラジオ「RADIO-kinugasa-BROADCAST」開設

06年 4月 「badonkadonk」開店


心臓病にて倒れ2度の入院を強いられる

09年 8月 Groovin' Style Bar 「Moves」開店

10年 11月 Dogrun & Dogcafe 「北のあずまや」をプロデュース




再び魂の彷徨が始まる。。。


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【音楽】

■幼稚園~小学生(低)

父親の経営するキャバレーにジュークボックスがあった


バブルガム・サウンドを耳にする

オリジナル・キャスト「ミスター・マンデー」
マッシュ・マッカーン「霧の中の二人」
ゾンビーズ「二人のシーズン」
1910フルーツ・ガムCo.「トレイン」
ショッキングブルー「ヴィーナス」
森山加代子「白い蝶のサンバ」
ヘドバとダビデ「ナオミの夢」
■小学生(中高)

小学3年 エレクトーンを習い始める
父親の店に札幌から生バンドが入る
バンドマンにギターを教わる

プロコル・ハルム「青い影」
ビートルズ「ヘイ・ジュード」
朱里エイコ「北国行きで」
麻生ヨウ子「逃避行」
トワ・エ・モア「虹と雪のバラード」
かぐや姫「神田川」
シューベルツ「風」
クライマックス「花嫁」
フィンガー5「恋のダイヤル6700」

オリジナルを作り始める

5年生の時、好きな娘の誕生日に「カーペンターズ」のアルバムをプレゼントする(W)

■中学生

ブラスバンド部に入部、トランペット吹きになる

文化祭でスリーピース・バンドで出場。。。何故か私はドラマー・・・???(W)
演奏曲「傘がない」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「青春の旅」「夏色の思い出」ほか

同じ文化祭で「とうへんぼく」「かざぐるま」という二つのフォーク・デュオとしても演奏。。。合計3回ステージに立つ(W)

井上陽水「かんかん照り」
泉谷しげる「黒いかばん」
イルカ「春」
ダウンタウン・ブギウギ・バンド「しらずしらずのうちに」
風「22歳の別れ」
NSP「赤い花」
吉田拓郎「祭りのあと」
小椋佳 「青春」
ふきのとう「白い冬」

■16~17歳

すすきののライブハウス「アイドル」にてソロ活動開始
オリジナル中心のステージを週に3~5日こなす
岡ちゃんとフォーク・デュオ コースター結成

浜田省吾「路地裏の少年」
ハイファイ・セット「スカイ・レストラン」

すすきのの酒場「ブギウギ」にてダウンタウン・ブギウギ・バンドの和田さんとジャム

フォーク・デュオ コースター>ツイン・カゥ・ベルにグループ名変更
本当はティンカーベルだった(W)

■18歳

札幌アマチュア音楽シーンを取材したミニコミ誌「LIVE」発刊

金太郎&スーザレイン結成
YAMAHAポピュラーソングコンテスト参加

山下達郎「ボンバー」
TOTO「ハイドラ」
高中正義「ブルー・ラグーン」
ジョージ・ベンソン「マスカレード」

■19歳

釧路にてライブハウス「ミックマック」に勤める

4人編成フォークグループ「リトル・ウイング」に所属
NHKローカルFMに出演

オリジナルバンド「リヴァージュ」結成
YAMAHAポピュラーソングコンテスト参加

AOR、SOUL、ウエスト・コースト、フュージョンにはまる
モダーン・ジャズやブルースも同時に聞き始める

「ゴダイゴ」のギター浅野さんとジャムる

「マイケル・フランクス」
「グローバー・ワシントン・Jr」
「アース・ウインド&ファイアー」
「マンハッタン・トランスファー」
「スティーリー・ダン」
「デヴィッド・サンボーン」
「クルセダーズ」
「スタッフ」
「イーグルス」
「ポコ」
「デュアン・オールマン」
「CSN&Y」
「EW&F」
「トト」
「ジェイ・グレイドン」
「キャロル・キング」
「ダニー・ハーサウェイ」
「オーリアンズ」
「ジャクソン・ブラウン」
「オーティス・クレイ」
「アル・ジャロウ」
「ロベン・フォード」
「ロビン・トロワー」
「パラシュート」
「松岡直哉」
「ヒミコ」
「マリーナ・ショウ」
「ランディー・クロフォード」etc...

ギターをセミアコに持ち替える

ジェイ・グレイドンのサウンドと出会い魅了される
「スティーブ・キプナー」「マーク・ジョーダン」「アル・ジャロウ」etc...

■20歳

打ち込みを始める

■21歳

トレバー・ホーンのサウンドと出会い魅了される
「アート・オブ・ノイズ」「プロパガンダ」「フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド」など

■現在

やっとブルースの良さが少しだけわかった気がしている(W)

しかし
デヴィッド・サンボーンの名演には魅了されっぱなしっ!

「マイケル・フランクス」「ランディー・クロフォード」「エリック・クラプトン」etc...

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【HN】 BOSS または seamonator
  
【性別】♂
【誕生日】 1961年9月21日
【星座】 おとめ座
【血液型】 A型
【住んでいるところ】 北海道札幌市
【職業】 飲食店、BARの経営してます。DJなんかもします。Web Designもします。
【趣味】●フライ・フィッシング、ルアー・フィッシングなど釣り全般(昔は年に200日以上してた)
     ●料理(和・洋・中・仏・伊)。      ●4WDラリー(1992年からやってない・・・爆)
     ●石集め(輝石・貴石・宝石など)。●山菜、茸採取(W
     ●油絵(シュールレアリズム系)(98年から描いてない)
     ●熱帯魚・水草(仕事でもある)。●執筆(2002年から何も書いてない)
     ●写真(1993年から一眼では撮ってない)。●楽器(最近ギターしか弾いてない)。
【性格】 馬鹿勤勉? 馬鹿正直? 馬鹿神経質(爆)
【好きな女性のタイプ】尊敬できる人。私をプロデュース、サポートしてくれる人。重要!(爆)
【将来の夢】 山奥で自給自足(w)全て自分一人の手でやりたい
     山を切り開き、畑と牧場を作り、ログハウスを作り、ハーブ園を作り・・・
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深夜族?ですw

活動時間は夜8時ぐらいから昼2時くらいです

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事業展開、事業発展、事業拡大に命を賭けるwww

信頼できる「ビジネスパートナー」及び 「ライフパートナー」求む!

現在「すすきの」にて飲食店を複数経営

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【趣味】

ルアー・フィッシング、フライ・フィッシング、海釣り、船釣り、渓流釣り、オカ釣りw

アクアリウム、熱帯魚全般

山菜・きのこ採集



自然石・貴石・天然石・宝石採集

料理研究、燻製作り

ホームページ作成、FLASH、デザイン

楽器演奏、作詞、作曲、編曲

油絵、アート

小説・エッセイ執筆

CLUB DJ、DJ MIX CD製作

写真撮影

店舗設計、施工

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【大好きな食べ物】

うなぎ、鮎の塩焼き、きんき、ホタテ、うに、えび、かに、生寿司

黒豚の塩焼き、黒毛和牛のシチュー

夕張メロン、桃、いちご(甘王)、パパイヤ、マンゴー、ライチ、バナナ、ドラゴンフルーツ

ブルーチーズ(ブルーノート、ゴルゴンゾラ、ブルソー)

蕎麦

セロリ、トマト(加熱)、大根、かぼちゃ、ナス、人参

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【使っているPC】

SOTEC アフィーナAV AFM386C1

Intel PentiumⅢ OS WindowsXP RAM 384MB CPU 863MHz HDD 80GB + 80GB

SOTEC WinBook WJ4160R

Intel Pentium4 OS WindowsXP RAM 1GB CPU 1.6GHz HDD 30GB + 80GB

TOSHIBA dynabook TX/65H

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【使っているソフト】

Macromedia Flash5・FlashMX

Adobe Illustrator 10

Adobe Photoshop 6.0

Adobe Premiere 6.5

Kazetachi AD

Movie Maker

Ulead PhotoImpact 6

LightWave3D

Motion Dive 3

Kai's Power Goo J SE

Shade 6

SWiSH v2(2).0

PhotoDeluxe HE 3.1

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【生活】

1991年から一人暮らし(少しでも自由でいたい)

お酒は殆ど飲まない(体質に合わない)

博打は全くしない(今は・・・)

お金に興味がない(玩物喪志癖あり)

熱しにくいが冷めにくいと言いつつ瞬間湯沸かし器的でもあるw

人付き合いが苦手で社交辞令が嫌い(苦笑)

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【愛用&拘り】

マーチンD37KⅡ 

ジッポー 

ラングラー・ジーンズ 

ハイライト 

ギブソンES335

NIKON

【好きな女性】

深津絵里  黒木瞳  高島彩  富田靖子  伊藤美咲  上戸綾  小倉優子

【好きな日本人歌手】

DOUBLE 絢香   ミーシャ  中島美嘉  アイコ  上田正樹  山下達郎  高橋真理子 

(日本の女性歌手は歳をとると枯れ過ぎる)

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動物占いだお

http://www.yo.rim.or.jp/~scafe/doubutu/

これではウサギだったw

http://www.d-uranai.shogakukan.co.jp/uranai/index.html

これではトラだった

http://www.ddart.co.jp/doubutu/doubutu.html

ちなみに私は↓

1961.9.21 男

わたしは社交的なトラです。

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あ な た は ど ん な 男 性

社交的なあなたは、トラのなかでも好感度 ナンバーワンです。

誰からも好かれ、親しまれる雰囲気を持っ ています。

人に対する優しさも持ち合わせているあな たはいつもみんなの中心にいます。

しかしながら、誰隔てなくつきあう性格は、 人を疑う警戒心の無さから、思わぬ失敗に つながることもあります。

自己がしっかりとあり、回りの雑音に惑わ されない性格は時として他人から頑固に思 われることもあります。

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あ な た の 本 質

あなたは自尊心が強く、独立心も旺盛で、 自分の思った方向に突き進む猪突猛進型 です。

人から後ろ指を刺されるような行為を非 常に嫌う正義感の持ち主です。

自分のためよりも人のために何かが出来 るあなたは、多くの人から好かれますが、 やや人の気持ちを汲むがに苦手なため、 思わぬところで人に恨まれたりすること があります。

決して悪意は無いのですが、自分の思う ところが正しいと思いこむところがあり、 誤解される事もあります。

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対 人 関 係

持って生まれた誠実さから、人を裏切っ たり冷たく扱ったり出来ないため、周り からの信頼は厚いです。

話し上手ではないのですが、説得力があ り、根回しやポイントの押さえ方がうま く、対人関係上、相手をリードする役割 にまわります。

誰に対しても親切で人の世話をするのが 苦になりません。

朗らかな性格で、異性はもちろん同性か らの支持も多く誰からも好かれる、得な 人です。

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恋   愛

社交的な普段とはうって変わって恋愛に 関しては臆病なあなたはなかなか相手に 自分の気持ちをうち明けることが出来ま せん。

あなたは相手の女性の心遣いや、考え方 など内面的、精神的なことで、その女性 に惹かれる事が多いです。

恋愛に関して直接的な行動に出ることが 苦手なあなたは少しずつ相手との距離を 縮めながら、静かに誠実な恋をはぐくむ タイプです。

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相 性(恋愛編)

恋人としての相性

○たぬき 相手のペースに合わせるのが上手なたぬきとは楽につきあえます。

×子鹿  八方美人の子鹿は嫉妬深いあなたをハラハラさせます。

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結婚相手としての相性

○ひつじ 冷静沈着で金銭感覚もしっかりしているひつじは結婚相手として最適。

×たぬき マイペースのあなたと、何かと家庭の事に細かいたぬきとは長続きしません。

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相 性(仕事編)

上司

○黒ひょう おだてに弱い黒ひょうは、上を立てる事が上手な虎の部下をかわいがります。

×チータ  思いつきで動くチータが上司の虎は落ち着いて仕事が出来ない。

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部下

○ライオン 指示通りきちんとこなすライオンを部下に持つと安心して自分の仕事に没頭できる。

×たぬき  言われたことを直ぐ忘れたり、うっかりミスの多いたぬきには我慢できない。

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好きなもの色々

ロイヤルコペンハーゲンの食器

ロイヤルコペンハーゲンのアルグレイ・ティー

フォートナム&メイスンのキャラメル・ティー

ボーンチャイナの灰皿

ワインレッドのジャガー(自動車スポーツカー)

ブルーメタリックのハマー(自動車4WD)

ギブソンES335(エレキギター)

マーチンD37K-Ⅱ D45(フォークギター)

礼儀作法をわきまえた女性

動物の嘆願するようなつぶらな瞳

オーパーツなどの不思議な話

ジッポのライター

ハイライト

ひげ

ハンチング

サングラス

オフロードラリー

オパールの原石(宝石)

ラピスラズリ(貴石)

フェレット

ディスカス

水草

TVドキュメント番組(ネイチャー系など)

TVバラエティー番組(お笑いなど)

ゴッド・ファーザー(映画)

ローズマリー(ハーブ)

ルパン三世

ジブリ・アニメ

南米アマゾン

南国系フルーツ(ライチ、パパイヤ、マンゴー)

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色んなことやってます^^

鯖や鰯、鮪と同じで、泳ぎ続けていないと死んじゃいますw

ある意味暇人ですw

いつでもPCの前にいます

これでもアウトドア派なのになぁ。。。

最近アウトドアしてないでつ。。。orz

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好きなことこんなにありまつ

音楽、執筆、FLASH、HP作製、LIVLY

DTM、料理、作曲、アクアリウム、石、油絵

燻製、作詞、写真、パイプ煙草、紅茶

チーズ、釣り、ラリー、アウトドア、山菜

ハーブ、剥製、木工、陶芸、科学、生物

心霊、ART、古代神話、古代文明

映画、メガネ、ログハウス、フェレット

ジーンズ、TV、DJ、PC、NET RADIO etc...

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DJしたりします(70'S~80'S DISCO、ROCK、R&B、HOUSEなど)

バンドしたりします(FUSIONから歌謡曲までw)

WEB DESIGNしたりします(HP、ブログの作製、FLASHでのパーツ作製など)

料理したりします(和洋中伊仏何でもw)

お酒飲みません(味見はします)

タバコ吸います

(ハイライト1日15本程度。苛々すると増えます=死にますw)

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好きなHP

http://x51.org/

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好きなTV番組

ザ!鉄腕!DASH!!

美の壺

ヘキサゴン2

開運!なんでも鑑定団

などなど

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趣味・特技

興味を持ったら猪突猛進!w

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今ほしいもの

ビジネスパートナー

ライフパートナー

ギブソンES335

魔法

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今行きたい場所

地の果て

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好きな本・作家

開高 健 全作

高橋克彦 炎立つ、竜の柩

筒井康隆 数作

横田順彌 数作

椎名 誠 水域、地下生活者、武装島田倉庫

豊田 有恒 パチャカマに落ちる陽

半村 良 収穫、ボール箱

光瀬 龍 百億の昼と千億の夜

梅原克文 カムナビ

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好きな映画・俳優など

ゴッドファーザー

太陽がいっぱい

ひまわり

ラストコンサート

青春の光と影

雨に歌えば

などなど

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好きな音楽・ミュージシャン

デヴィッド・サンボーン

ジェイ・グレイドン

ダニー・ハーサウェイ

カルロス・リオス

カルロス・サンタナ

ゲーリー・ムーア

アリシア・キース

ランディ・クロフォード

ヘイ・ジュード ビートルズ

青い影 プロコル・ハルム

アントニオの唄 マイケル・フランクス

君のともだち キャロル・キング

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好きな人・物・事

ネイチャー・ドキュメント

夏の雨上がりの晴れ間

白いブーツを履いた女性の足

何事にも努力する人

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いらない人・物・事

人が傷つく戦争

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嫌いな人・物・事

自分

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好きな有名人・タレント・アイドル

所ジョージ

島田紳助

カンニング竹山

真鍋かをり

SMAP

さまーず

など




人はどうして生きるために頑張っているのだろう?
と、ふと思った。

自分のためなのは勿論そうなのだろうが
この気持ちも、年齢や環境によって変わってくるのだと思う。

若い時や、野心があるときには
ただただ、我武者羅に生きていて、こんなことすら考えもしないが
ひとたび、乗り越えられそうもない壁にぶち当たったり
現実逃避したくなるような状況になったとき
ふと、死を意識してしまうこともあるのかもしれない。

さて、どうして生きるために頑張るのか?に戻ってみると
恋人のため、家族のため、共に暮らすペットのためなど、感情の共有ができるもの他に
お金のため、仕事のため、家系のため、趣味のため、夢のためなど
生きているからこそ伴ってくるものにかける情熱や野心、しがらみ、責任などもあるのだろう。


私はこれまで、幾度となく自己崩壊を繰り返している。

私には、血を分けた子供が4人いるのだが
およそ25年前に、生き別れとなっている。

これもまた、自己崩壊の結果によるものなのだが
では、この、私の自己崩壊はいつから始まったのだろう? 

私は幼い頃、両親の他に、父親の妹二人と、祖父母 という大家族の中で育ったのだが
私が6歳の時に両親が離婚し、母親が家を出てしまった。

今にして思えば、これが私の「自己崩壊」のきっかけとなったんだろうと思う。

その後、3年ほどの間に、何人かの女性が出入りしたわけだが
この人たちは父親の、その都度のお相手だったと、今にしてわかる。

この頃、7~8歳の間に、ランドセルを背負ったまま何度か家出をしている。
行先は、母親がいた頃の父親の浮気相手だった女性の元だったのだが
それとて、今だからわかるものの、当時は
家族ぐるみで付き合いのある居酒屋の女将というぐらいのものだったのだろう。

しかし、私にはとても良くしてくれて、時にはお泊りにも行っていたので
全く抵抗なく、その人の元を選んでいた。

後に、数か月、その人の元で二人暮らしをすることにもなる。

そして、9歳の頃、何人目かとなる女性に、布団で簀巻きにされ、殴る蹴るの虐待を受けつつも
およそ2年の同居を余儀なくされた。 

悔しさのあまり、女性の部屋の、部屋置き型の灯油タンクの中に、こっそりと小便をし
憂さを晴らしたことも何度かあった。

この頃、父親は2階建てのキャバレーの店舗を出店するために
祖父母に無断で土地などを売り、覚醒剤にも手を出し始めていた。

このキャバレーは、二階が住居となり
始めは、それぞれ別々の部屋で父親と女性、私の三人での生活となった。 

この頃の私は、心が酷く寂しく
拾ってきた白い子犬を抱き、一緒に布団で寝ていた。

しかしそれも、1~2か月の話で
一階店舗の屋根だった二階部分はリフォームされ
和室の大広間と、6畳間が三つ作られ、フローリングの長い廊下があった。

建て前的に父親は、6畳間に祖父母を迎え、実家を丸ごと売りに出してしまったが
さすがに手狭でもあり、祖父の体調が急変したので
まだ残っていた実家へと戻り、その後、間もなく祖父は他界した。

私の部屋には窓があり、外の景色を見ることができていたが
リフォーム後には壁となってしまい、日中でも電気をつけないと本も読めないほど暗い物置のような部屋となった。

この頃から私は不登校気味となり
始めのうちは、家のどこかに隠れて、こそこそしていたが
そのうち行動は大胆となり
下校の際に殆どの生徒が必ず通る、町の中心部にある橋の下で魚釣りなどをして時間を過ごしていた。

祖父が他界してから、実家が売却されるまでの数か月は、祖母が実家の片づけをし
その後、祖母は再び、キャバレーの二階で暮らすこととなるが
祖母が来て一ヶ月もしないうちに、釧路から二人の刑事が来て
私の目の前で父親と、共に暮らしていた女性に手錠をかけて連れて行った。

この頃に私は一度、自殺未遂を試みている。

赤く焼いたドライバーを手首に当てただけなのだが
その時の悔しさは今でも忘れない。
とはいえ、何が悔しかったのかすらわからないのだが・・・


父親は、この女性と共に、まだ実家にいる頃にも逮捕されており
なぜかはわからないが、当時の帯広署に二ヶ月ほど拘留され、初犯につき執行猶予で帰ってきており
おそらく、執行猶予があける前の二度目の逮捕なのだろう。

釧路署で取り調べを受け、釧路拘置所にて収監されたが
その後、なぜか、網走刑務所に移送されていた。

私が高校進学を考えなければならない二年の時に
網走刑務所に面会に行ったものの
結局、私の将来のことなど何も話すことなく
無言の時間を過ごして面会室を後にした。

私が中学三年生の12月に父親は出所し
その後、札幌のススキノにあったセントラルホテルの地下の料亭「七条」で板長となり
中学を卒業する頃になると、私を呼び寄せた。

高校受験はしたものの
父親の度重なる逮捕のニュースは、田舎町に知れわたり
そのことが要因となって虐めを受けていた私は
更なる3年間の、高校生の体力のある虐めに耐えることなどできないと思い
進学せずに札幌へと向かった。

私を呼び寄せた父親を頼りに札幌に来てみると
父親は、新たな女性と生活しており
そこに私の居場所などは無かった。

私は、新たな女性の家の長椅子で寝泊まりし
父親が働くセントラルホテルの二階にある喫茶ラウンジ「愛」で働かせてもらうことになる。

しかし、数か月もすると
突如、父親は職場を辞め、別の女性とどこかへ行ってしまい
前の女性の家に仕事を終えて帰ると「出て行け!」と怒鳴られて、追い出された。

その夜、仕方が無く、再び職場に戻り
それ以降、数日の間、ホテルのフロントの控室で寝泊まりしながらの勤務となった。

朝8時から、一食付きで夜7時まで働き
「お前なんか未成年で修行中なんだからこれで十分だ」と言われながら渡された給料は、3万5千円だった。

その夜、同僚だったウェイトレスに誘われ、ススキノのスナック「ブギウギ」へ行くと
お店のスタッフや他のお客さんにも事情を伝えてくれ、誰もが私を慰めてくれた。

それ以降、私は姉のように慕い
このウェイトレスにお願いして、何度か、このスナック「ブギウギ」に通ううち
常連として可愛がられ、未成年だと知りつつも
毎夜のように飲食をさせてもらっていた。

ほどなくして、私はセントラルホテルを辞め
当時有名だったライブハウス「アイドル」に、年齢と、なぜだか名前をも偽って
バーテンとして働き始め
出演者がドタキャンの際にステージで歌わせてもらっていた。

この当時、まだ15歳だった私は、成り行き上21歳だと偽ってしまったため
その後の4年間を偽り続けるために苦労することになる。

結局、父親と暮らしたのは僅かに1ヶ月ほどで
その間も、二人だけで会話をすることも無く
自分の将来など何も考えることなく、ただただ、コーヒーの落とし方や、接客などを覚えることに必死で
漠然と生きていただけだった。

私は、僅か1ヶ月で、再び親に放り出され、孤独となったのだったが
その後、通っていたスナックで知り合った人々のつながりで
流れ流されるようにして、出身地よりも暑い夏を過ごし
ライブハウス「アイドル」のバーテンを辞め、アーテストとして出演することになる。

秋風に冬の気配を感じるころになると、アーティスト収入だけでは生活も厳しく
また、居住場所も無く、春までの生活を考え
ススキノでも珍しく寮のあるパブチェーン「オフィスレインボー」の「海賊館」に就職し、入寮する。

三か月もすると試用期間も終え、正社員雇用のために身分証明書を提示することを求められたため
歳や名前が偽りであることがばれるのをおそれ
「行方不明の父親を探すため」との理由をつけて退社する。

その後、何軒かのライブハウスを掛け持ちしながら
すっかり常連となったスナック「ブギウギ」で飲んだくれて、二年目の夏を向かえ
クラブ「ニューダーリン」にチーフとして就業するが
ここでも三か月後の正社員雇用の壁に阻まれ、退職することになる。

こんなことを何度か繰り返しているうちに秋となり
再び父親との連絡が取れ
定山渓グランドホテルで料理課長をしており、人手が足りないからと呼び寄せられる。

ここでは年齢を偽ることも無く、気楽だったが
父親が重役職だったこともあり、周囲の対応に必要以上の気遣いがあり
気まずくもあった。

定山渓グランドホテルでの仕事は、季節労働のようなもので
年末から春先までの冬期間のみが忙しく
5月も過ぎるころになると急激に仕事が無くなり
私は再び札幌へと戻り、北21条東9丁目の、風呂無し、共同玄関、共同トイレの6畳一間のアパートに部屋を借り
毎日ススキノまで歩いて往復しながらライブをこなしていた。

このアパートの部屋の両隣は、それぞれに音楽を通して知り合った人が住んでおり
連日のように、それぞれの友人が集まっては、どんちゃん騒ぎを朝まで繰り返していた。

そんな中から何人かが集まり「金太郎&スーザレイン」というバンドを結成し
YAMAHAのコンテストに参加したり
自腹でYAMAHAのホールを借りて、ジョイントライブを行ったりした。

この時、デビューが決まっていた「五十嵐浩晃」さんがゲスト参加してくれた。

この頃になると、環状通りの拡張工事の話が本格化し
その準備がそこここで始まっていた。

アパートの家賃は2万円と安かったものの、定山渓で蓄えたお金と、ライブの収入だけでは賄えなくなってき始めたので
スナック「ブギウギ」の口利きで、同じビルのスナック「ニュードタバタ」にて働き始め
時折、ソロライブも行わせてもらっていた。

スナック「ニュードタバタ」に勤務して二ヶ月が経った頃、経営者と店長の間でいざこざがあり
私を含めたスタッフ全員の前で経営者が店長を殴りつけた。

これを機に、翌日から仮病を使い出勤を拒み、そのまま退社した。
暴君のような経営者の態度に耐えられなかったからである。

アパートの隣の部屋の友人が、近所にあったゲームセンターの管理人をしていたのだが
就職のために退職するということになり
その後がまとして、ゲームセンター「888」の管理人として寒い夏を乗り切った。

このゲームセンターの隣で営業していた、もぐりのキャバレーの呼び込み二人が常連として
暇潰しにゲームをしに来たり、両替をしに来たりしていた。

私は、一人ととても仲良くなり
時々ドライブなどに連れて行ってもらっていた。

この時私は19歳だったが、嘘をついていたので、間もなく24歳ということになり
これ以上嘘をつき続けることに疲れ
嘘をつかなくて済む場所を求め、その呼び込みにお願いして
札幌へ来たとき同様に、ギター一つだけ抱えて釧路まで送ってもらい
中学の頃から遠距離恋愛していた相手を頼った。

釧路では、中学の同級生の紹介でライブハウス「MICMAC」に勤めながら、毎日ライブで歌い
遠距離恋愛だった相手と同棲していたが
その相手の浮気が原因で別れることとなった。

当時、釧路では精力的に活動し、「Little Wing」というバンドに参加し、全道ツアーを行ったり
ローカルではあるけれどNHK-FMに出演したり
友人の自費出版レコードの録音にギターとして参加したりしていた。

また、ライブハウス「MICMAC」に出演していた人や、その友達、お客さんなどと共に
「リヴァージュ」を結成し、標茶町でのライブや、YAMAHAのコンテストに出演する。

翌年、ライブハウス「MICMAC」は閉店する予定となり、新たな場所にライブの無いBarとして新規開店するとのことで
どうしたらいいものか悩んでいたが
タイミングよく、またまた父親から連絡があり
「好きなように店をやらせてやるから来い」というものだった。

私は懲りずに、父親の口車に乗せられ、札幌へと戻り
白石区でライブハウス「STEELY DAN」を開店させることになるのだが
これは父親の謀略で、ライブハウス「STEELY DAN」に充てられるために
私の名義で受けた融資のうち、その2/3を横領され
店は開店にはこぎつけたものの、運営・維持費までは賄えず
また、まだ20歳の私には力量も無く、僅か半年で閉店を余儀なくされた。


この時、私はまだ20歳だというのに
今こうして書いていても
これが普通に経験する20年間なのだろうかと自問自答せずにはいられない。

これでも記載したものは、事実の半分ほどでしかない。

そして、この後も、実に多くの自己崩壊が繰り返されるのだが
もう既に成人しているので、そのすべては自己責任でしかない。

しかし、成人以降に繰り返される自己崩壊の原因は
幼年期から未青年期に、父親が齎せた環境によって形成されたのだと、言い訳をしたい。


さて、今の私は、何を耐え、何を頑張ったらいいのか・・・


この後私は、ススキノにある飲食店チェーンの焼き鳥バーに努めることになるのだが
このチェーン店は、店ごとに様々なスタイルで運営しており
スタッフに合う店に就業させるべく、数か月ごとに別の店へと移される。

焼き鳥バーに努めて間もなく、人手不足から、大きなパブの厨房兼ホールへと移され
そこで、のちの嫁となる女性と出逢う。

この女性と出逢ってから一ヶ月ほどで、ジャズバーへと移されるが
もともと売り上げが 芳しくないことから方向転換を試みた結果、売り上げを倍増させるに至る。

これを機に、他のスタッフと共に、売り上げの低い店を転々とし
売上向上のための専門要員のようになる。

移動先の各店で売上向上に、それなりの成果を出し
また、プライベートでは長男が生まれたことで、もっと責任を持てる仕事をしたいと思い始めた矢先に
義父が急性リンパ性白血病にて、突然他界してしまう。

この時、夢の中で
私が勤める店に、義父が顔を覗かせ「よろしく頼む」と言われたのをきっかけに
自分のために続けてきた音楽を辞め、仕事と家族にのみ執着するようになる。

急いで経営のノウハウを習得したのち、この飲食店チェーンを辞め
野口ビル4階にエスニカル・モダーン・バー「seise」を出店する。

しかし、ここでもまた、父親が私の人生を狂わせることになる。

この時、父親は、南区藤野で小さな居酒屋「紬」を、女性と二人で運営しており
新規店舗を開店するにあたってどうしたらいいのかを相談したのだが、これが悪かった。

父親が紹介してくれた不動産屋、その不動産屋が紹介してくれた設計屋が、今で言うブラック企業だった。

結局、開店当日になっても内装工事は終わることはなく
それどころか、設計図面と内装にはいくつもの相違が生じていたので 
三回に分けて支払う予定でいた工事費用を払わずにいると
損害賠償訴訟を設計士に起こされ、私は裁判所へ赴いた。

結局、当初450万円の契約金に対して、総額250万円で和解した。

とはいえ、内装が完了しているわけでもなく
完了へ向けて工事されることも無い。

また、消防法改正に伴い、スプリンクラーの設置が義務付けられ
新たな工事が必要になり、その費用がおよそ120万円かかるということから 
この一店舗目は、僅か一年で転売せざるを得ないことになってしまった。

すぐ近くのビルの居抜きに店舗を移し、改めて営業を始めるも
来客数は激減し、毎日のように早朝までの営業で疲弊していた。

そして、努力することの目的や、頑張ることの対象が変わり始めていたのかもしれない。

この頃になると、接待のつもりで
酒を飲んで体を壊すよりはマシだろうと思い
釣り好きなお客さんと共に釣りに出かけることも増え
店と釣り場の往復で家に帰らないことも頻繁となってきた。

とはいえ、家に帰っても、既に二人となった子供たちはまだ幼く
日中に熟睡することは難しい環境だったため
店や車の中で睡眠をとり、着替えと、入浴のためにのみ帰ることが多くなり
夫婦の会話など全くなくなっていた。 

この頃になると、何のために家に帰っているのかが分からなくなりはじめ
生きていることの目的も分からなくなり始めていた。

ちょうどこの頃、3日続けて、ススキノと稚内の往復をしたことがあった。

札幌への岐路に着こうとしたとき
当時、気に入って聞いていたフライングキッズの「幸せであるように」がカーステレオから流れた。

音量を大きくして一緒に口ずさんでいると
不意に涙が流れ、止まらなくなった。

路肩に車を寄せて、何度も何度も歌い、泣いた。

「オレは何のために産まれたのだろう?」
「なぜ生きているのだろう?」
「どうしたら幸せになれるのだろう?」
「どうしたら幸せにしてあげられるのだろう?」
「一体何が幸せなんだろう?」

何をもって幸せと感じていいのか
そんなことすら学んでいないことを思い知った。

結局、この数年後
離婚し、母子家庭として生活保護を受けさせてしまった。

私自身もまた、全てを失いボロボロの状態のまま
何度か逢いに行き、時には滞在したこともあった。

毎日のように子供たちと触れ合い、妻との会話もあった。

時には料理や、この頃はまだやったことも無かったデザートも初めて作った。

今にして思えば
家庭というものを殆ど知らない私が、最も家庭を感じた時でもあった。
 
しかし、私にとっては残念なことに
もともと折り合いの悪い義母に阻まれ
漸く見つけた「幸せの瞬間」は終結させられた。

ここでもまた、他人から「出て行け」という言葉を浴びせかけられた。

決して、義母の言葉は正しくはあるのだが
過去のある私にとっては、あの苦しく虚しい記憶が蘇えり
義母を恨むことでしか自分を慰めることはできなかった。

この時に既に30歳、漸く気づいたことがあった。

私には、幼いあの日以来、家族と呼べるものは無くなっていたんだと・・・

私以外の全ての人は他人なんだと・・・

2016年、秋には55歳にもなるというのに・・・

数年前に倒れて以来、「生きたい」と願ってここまで来たが
生きることの目的がわからない。

生きることの意味がわからない。

私が39歳の時に、良くも悪くもしがらみとなっていた父親は他界した。

この、ダメな人間の血族は私で絶えさせなければいけない。

子供たちはそれぞれに結婚し、家庭を築き、子供を設けていると、つい最近知った。

私の父親と、私のダメな遺伝子は受け継いでいないでほしいと願う。


何を頑張ったらいいのだろう?
どうしたら生きていられるのだろう?
何のために生きていなければならないのだろう?

50歳を過ぎ、全てを失い、金も無く、天涯孤独の人間が
どんな目的をもって生きればいいというのだろう?

だからと言って、死にたいわけではない。

生きていられるものなら100万年でも生き続けたい。
人類と、地球の最期を見届けられるほどに・・・


私には常に目標を持つ習慣があり、その都度生きるためには、それが必要だった。

そして、ひとたび、目標を見つければ、達成させるための努力は自分でも驚くほどで
そこに費やする時間を何よりも大切にし
目標への到達も、人の何倍も早く、まさに研究者タイプだと思う。

しかし、また、ひとたび目標を失ったり
過去にも試して、ある程度の結果を得たものだったりすると
3%ほどの力すらも発揮できない。


母親や、団欒のある家庭を失った幼い頃から
私は満たされずに生きている。

何かに夢中になり、突き詰めようとする性格は
自分の中の満たされない部分を、何かで代用し、満たそうとするがあまりであり
だからと言って、失って50年ほども開いたままの穴を
代用品では決して満たすことはできないが
一時的にでも満たされたつもりにはなれた。

しかし今は、その代用品すら無くなり
もはや、この穴を満たすものは何一つなく
時間が経てば経つほど、穴は広がり、それと共に心は脆くなる。

今はただただ、自分の背負った人生を恨むことでしか
自分を生かすための活力を得ることはできなくなっている。

せめて、30年前に戻ることができたならと・・・









  私が30歳で離婚したのには訳があった。

24歳で独立し立ち上げた店は訴訟の対象となり、結局手放し、売却することで
訴訟の対象だった工事代金を支払うこととなった。

その後、移転したのをきっかけに、僅か5年の間に9店舗とし
はた目には一見、成功者と写っていたことだろうが
新店舗を維持させるために次の店舗を出し
また新たな借金をしては新たな店舗をだしということを繰り返した結果だった。

10店舗目を出そうとして、預金を担保に融資を受けるはずだった銀行からストップがかかった。
預金が異常に少なくなっているというのだ。

調べてみると、身内の業務上横領だったことがわかり
これを機に離婚し、全ての資産の売却を行い、事業からも撤退した。

ここでもまた自己崩壊してしまったわけだが
この時はさすがにダメージが大きく、車の中で排気ガス自殺を図った。

およそ三日間、車の中で倒れていたらしく
目が覚めた時には、激しい頭痛とめまい、吐き気、耳鳴りがし
転げ落ちるようにドアを開けると、嘔吐を繰り返した。

マフラーからつないだホースは跡形も無く何処へと消え、車のエンジンは止まっていた。

ズボンは失禁で濡れており、まだ3月だったことから、外へ出ると凍りはじめ冷たくなった。

寒さに耐えられず車に乗ってエンジンをかけると、つけっぱなしだったラジオから
北海道の高速道路で、100台以上の玉突き事故が起きたことを忙しなく報じていた。

私が離婚した理由は
その後、私の身の回りに起こるであろう様々なことを想像し
残った家族に降りかかるかもしれない火の粉を、先に振り払いたかったからだ。

その甲斐あってか、離婚後の私のことは一切家族に知られることは無かったものの
事業を撤退したことで、弱みに付け込もうと湧いて出る、身に覚えのない借金の請求などもされずに済んだことと思う。

この後の5年間は自分でも思い出せないほど空虚な時間ばかりが続き
彷徨い続けていた。

それも、そう長いことは続かず、生活費が底を尽き始めてきたことで
それまで経験したことが無かった何種類かの肉体労働をした。

名古屋まで行ってTOYOTAの自動車製造にかかわったり
春先の道路のライン補修作業をしたり
人材派遣会社の運転手をしたり
塗装屋の資材運搬をしたり
ホストクラブのボーイをしたり
2tトラックによる牛乳配達をしたりと
とにかく、空虚な心を埋め戻すことに必死になっていた。

35歳になると、私は再びススキノへと戻り
僅かに現金10万円で、10坪の小さなスナックを借り、営業を始めた。

実際には10万円では何もできないどころか、店舗すら借りられないのだが
偶然にも、過去の私の業績を知っていてくれたらしく
保証金の50万円を、ある時払いとしてくれた。

とはいえ、いつ夜逃げしてもおかしくない業界でもあるので
家賃は、毎日1万円の現金払いとされ
この手狭な店、「bar 30-30」を7年間運営することとなった。

そして再び数多くの人脈を得ると共に、店を任せられる人材にもめぐり合い
ふたたび組織化を図るため、6年目になる頃には新店舗展開をし始める。

「bar savo-e 」と、スナック「魔法のランプ」の2店舗同時オープンを試み
新たなスタッフに店を預けたものの、ここでまた小さな裏切りが何度もあったのだが
この頃になると、さすがに私も肝が据わっており
直ぐに崩壊させることなく、何度も再建と復興を試みるべく思考を巡らせた。

翌年には、DJ・Bar「Twenty four - Seven」を開店させ、ガールズバーとclubの融合を模索するようになる。

次の年、釧路の友人が偶然来店し、それを機に本格的なDJの店を目指すようになり
この友人と共に2004年に「Hollywood Cafe」をプロデュースし
更に翌年には、インターネットラジオ「RADIO-kinugasa-BROADCAST」開設し、営業の傍らでDJをするようになる。

2005年には、「bar 30-30」を改めて、新しいスタッフに任せたものの
売り上げの低迷が著しくなり、8年目を迎える前に閉店させることになり
翌年には、私の定住場所として、ダイニングDJバー「badonkadonk」を開店させ
小さな音量で流れる本格的なDJの音楽をBGMに、手打ちパスタや手作りソーセージなどの食事をを楽しむという
当時のニューヨーク・スタイルをいち早く取り入れるも
この時、既に、私は42歳になっており
連日のように体調不良に苛まれ、一年を待たずに閉店することになる。

その後私は急性心不全で突然倒れ、危篤状態となってしまうものの
「Twenty four - Seven」は通常通り営業が継続されていた。

しかし、私のいない間に、スタッフの小さな裏切りから大きな裏切りへと変わっており
やむを得ず、「Twenty four - Seven」を閉店させ、二度目の組織化はここで幕を閉じる。

この間の心労が祟ったのか、心不全で再び倒れ
この時に、心臓弁不全症と不整脈があると知り、更に、幼少期にわかっていれば治せていたかもしれないと知らされ
ここでもまた、幼少期からの満たされない穴を思い出させられることになる。

ほぼ2年の間に何度かの入退院を繰り返し
その後、衰えた筋力を鍛えるために、リハビリを兼ねて写真を撮りながらの散歩を続けていた。

この間に、数多くのストリートミュージシャンたちと知り合い
春から夏にかけて彼らのステージを撮影し続けた。

Tシャツ一枚では、動いていないと震えてしまうほどに寒い7月の夜に、ふと、
「冬になっても彼らが活動できる場所があるといいかもしれない」と、思い立ち
2009年の8月に、 Groovin' Style Bar 「Moves」を開店させ
ストリートライブを繰り広げるアーティストたちのライブハウスとした。

時には、ベリーダンスの集団や、近所にある小さい店のパーティーなども請け負い
最大で103人を収容したこともあった。

年が明け、再び春が来ると、アーティストたちは屋外へと活動の場を求めるようになり
それと並行して、J-popを中心としたDJイベントが増え始めた。

親子以上も歳の離れた若者たちの集団は
AKBやPerfume、K-popなどをかけ、オタ芸を打ち、ノンアルコールで酔っていた。

こんなイベントが一ヶ月に3~4回も行われるようになると
運営の方向性も明確になりはじめ
このイベントの中心にいた人物に、一年後売り渡すという条件で店を任せ
この間に知り合ったドッグトレーナーの夢に乗る形で
2010年11月に、人里離れた当別町にてドッグホテル「北のあずまや」をプロデュースするに至る。

2012年、結局、「Moves」を任せた人間は二転三転と心変わりし、この年の5月に退き
その後3か月は、閉店に向けての後処理に奔走し、8月に閉店させ
エネルギーを当別だけに集中させることとなる。

2011年から「北のあずまや」にて育成していた「ほたる」は、ようやくその数を増やし
私もまた「北のほたるや」として活動するようになり
2012年の夏には無料観賞を行い、当別だけならず、近隣の町村や札幌からも、およそ100組ほどが観賞に訪れてくれた。

これを機に、ホタル以外にも人が集まるかもしれない観賞できるものをと考え
ホタル池に、蓮や睡蓮、池の周囲にはヒガンバナなども植え、栽培を試み始めた。

それと共に、ホタル観賞の際に足元が暗いので
足元を照らすためにと、多数のキャンドルシェードを並べることを思いつき
当別の土で陶器のキャンドルシェードを作れないものかと模索し始める。

ありあわせのもので陶芸窯を作り
周辺の山や、田畑から集めた土でキャンドルシェードを作って、次から次と焼いてみて
陶芸に適した土を探し出すことになる。

それと並行して、ドッグホテルなどの利用者に向けて
自家焙煎でのコーヒーを研究すると共に
当別の山で採取できるヤマブドウでワインを醸造する研究を始めるなど
本格的に、当別町の町おこしを考え始めるが
同時に、町側のスタンスも知ることとなり愕然とする。

この頃になると
ススキノを離れ、もう他に帰る場所が無くなってしまったことで不安がつのり
それを埋めようとするがあまり、次から次へと、とにかくいつも何かを考え、何かをしていないと
心の置き場も見つけられず、ふと気を抜いた瞬間に、身の回りにドス黒い靄が立ち込める。